田子ニンニクの振興に奔走する五十嵐さん

ニンニクの振興、町内の空き店舗を活用した写真展などのイベント開催、県内協力隊同士の連携による移住体験会など

  • 青森

青森県 田子町 地域おこし協力隊 現役隊員(任期:2019年5月~)
五十嵐孝直さん

ニンニクがきっかけで知った田子町に単身で移住を果たす

青森県の最南部に位置する田子町(たっこまち)は人口5000人足らずの小さな町。高品質なニンニクの生産が盛んで、ニンニクを中心としたまちづくりを進める〝ニンニクの町〟として全国的に知られている。そんな田子町で2019年5月から地域おこし協力隊として活動している五十嵐孝直さんが、この町を活動の舞台として選んだ理由もニンニクが決め手だった。

「仕事でシンガポールに6年間ほど駐在していたときに出会った『バクテー(肉骨茶)』という料理は、骨付きの豚肉をたっぷりのニンニクと香辛料で煮込むシンガポールのソウルフードで、私はこの料理にすっかり魅了されてしまいました。帰国後もバクテーを食べたくて店を訪ね歩きましたが、本場の味とはどこか違いました。ならばその味を自分でつくろうと考えていろいろ調べていくうちに、青森の田子町が日本一ニンニクにこだわっている町で、しかも田子豚というおいしい豚肉もあるという情報にたどり着きました。それまで田子町のことはまったく知りませんでしたが、ちょうど会社を辞めて起業したいと考え始めていたので、大好きなバクテーをこのニンニクの町でつくってみたいと思い、2019年4月に12年間勤めた会社を退職し、地域おこし協力隊として田子町に着任しました。」

2007年に大学卒業と同時に外資系商社に就職した五十嵐さんは、その英語力を買われて海外勤務も経験し、着実に社内でキャリアを重ねていた。しかし、会社という大きな組織に属して動くという働き方が本当に正しいのだろうかという気持ちが次第に強くなり、これから何十年もそれをやり続けていくのかと考えたときに、「人生で一度くらいは個人で勝負できるような仕事をしてみたい」と考えるようになっていたという。

「せっかく起業するからには、それを地域の活性化にもつなげたいという思いもあったので、地域おこし協力隊という形でその土地に入ることを決意しました。実は協力隊の存在を知ったのは会社を辞める半年ほど前に、山口県で地域おこし協力隊をやっていた知り合いに話を聞いたのがきっかけでした。ただ、そのときはまさか自分が協力隊に応募するなんて思ってもいませんでした。」

本場の味にこだわって商品化に漕ぎつけた『田子バクテースープ』

田子産ニンニクを使った『バクテー』の商品化に挑む

現在、町内のアパートで一人暮らしをしている五十嵐さん。実は奥さんを東京に残して単身赴任で田子町に移住してきた。

「会社員時代よりも収入が減るのはわかっていたので、経済的なことを考えて、まずは自分だけで移住することにしました。妻は私に東京で働き続けて欲しいと思っていましたが、移住について夫婦で何度も話し合い、私の思いを理解してもらいました。」

地域おこし協力隊として着任した五十嵐さんは田子ニンニクの振興のために勉強を重ね、地元の農家さんに教わってニンニクの栽培にも挑戦しながら、念願だったバクテーの商品化に取り組んだ。まずはバクテーが簡単につくれる田子町産のニンニクを使ったスープを開発することにした。

「商品を開発するにあたって、ニンニクのトレンドや価格、食の比較などを調査するため、シンガポールとタイに出張させてもらいました。協力隊の海外出張は田子町でも初めてのことでしたが、前職での海外駐在経験を活かして田子町と海外をつなぎたいと考えていましたし、その結果、田子町のニンニクを海外に売り込む窓口となってくれるシンガポールの会社も見つけることができました。2021年3月に『田子バクテースープ』をなんとか商品化することができ、半年で1000個ほど販売しています。」

左)シンガポールへの出張ではニンニクの販売を支援してくれる現地企業を訪問 右)自ら畑を借りてニンニクの栽培にも取り組み始めた

14本の提案書を提出して13本にGOサインが!

このスープ開発も含めて、五十嵐さんはこれまで14本の提案書を田子町に提出。そのうち13本にGOサインが出て、現在は空き店舗の活用や移住者目線での写真展の開催、県内の協力隊と連携した活動など幅広いテーマに取り組んでいる。

「田子町としてやりたいと思っていても、予算や人員などの関係でなかなか実行に移せないようなことを、自分のような協力隊をいい意味で〝うまく利用〟することで実現できているのかなと思います。町としてもやってみたかったことだから応援するよ!という感じで役場の方にはさまざまなサポートをしていただいているので、とても助かっているしやりがいがあります。」

田子町に移住して2年半。移住者の活動はどうしても目立ってしまうからなのか、それを快く思わない人から心ないことを言われたこともあったという。

「それまで自分たちだけでやっていたところに新しい人間が入ってきたら、そう言いたくなる気持ちも理解できますので、気にしていません。田子町がとんでもなくおもしろいことをやっていて、とても魅力のある町だということを広く認知してもらい、町を元気にするのが私の使命。そのために自分がやるべきこと、自分だからできることがいろいろと見えてきたので、自分の持っているアイディアをこれからもどんどんアウトプットしていくだけです。」

イベントに参加し、田子町産バクテースープのおいしさを伝えている

任期終了後は個人事業主として田子ニンニクのさらなる普及に取り組む

五十嵐さんは任期終了後も、田子町で暮らしながら個人事業主として活動を続けていくことを決めている。

「協力隊として2年半やってみて、ようやく自分でも勝負できそうだなというところまできました。いま振り返ると会社員という環境はとてもラクでしたが、それに乗っかっていたらここまで力強く生きることはではなかったと思います。バクテースープの販売に加えて、地元のガーリックセンターと協力して田子ニンニクの加工品の輸出などもスタートさせる予定なので、これからが本当のスタートです。個人的に町内の元呉服屋さんの空き店舗を購入したので、ここを改修して町の活性化に取り組む拠点にしていく計画も進めています。プライベートでは妻が現在の仕事をリモートワークでできるように会社と調整してくれているので、それが叶えば一緒に田子町で暮らせると思います。」

安定した仕事を辞めて単身で未知なる土地に飛び込んだ五十嵐さんだけに、そこにさまざまな不安があったことは想像に難くないが、「田子町にきて本当によかった」と五十嵐さんは言い切る。

「たとえひとつ数万円の仕事でも、それが何個も積み重なることでまとまったものになります。自分ができる小さなことをいくつも見つけてやり続けていけば、きっとそれが生業になるのだと思います。自分のこれまでの活動は〝小さな点〟にすぎませんが、地元の人や行政のサポートを受けてそれが少しずつ根づいていけば、いつかは点と点がつながって〝一本の線〟になっていくと思います。協力隊は臆することなく提案書をバンバン書くつもりで、地元を変える起爆剤になって欲しいと思います。」

線がたくさんつながれば、それはやがて〝大きな面〟になる。そんな日を夢見て、五十嵐さんは田子町とニンニクへの愛を原動力に今日も精力的に活動を続けている。

左)2021年の東京五輪では聖火ランナーとして走る機会も 中)協力隊関連のセミナーでの発信なども積極的に行っている 右)町内の元呉服屋さんの空き店舗を購入してセルフリノベーションにも取り組む

Profile

青森県 田子町 地域おこし協力隊 現役隊員
五十嵐孝直さん

1985年生まれ。千葉県出身。外資系商社時代に6年間駐在していたシンガポールで地元のソウルフード「バクテー」に魅了され、その味を日本でも再現したくてニンニクの町・田子に協力隊として着任。海外経験を活かして田子ニンニクの海外展開に取り組む。