耕作放棄地の棚田を借りて稲作に挑戦した細田さん

農業支援、イベント・地域行事等の支援、集落内事業支援ほか

  • 新潟

新潟県 十日町市 地域おこし協力隊 隊員OB(2018年11月〜2021年10月)
細田浩貴さん

大学時代に縁があった新潟県で地域おこし協力隊に

青森県出身で岩手の大学では農学部だったという細田さん。故郷の青森の会社に就職したが退職し、農業への思いに加えて「自分で考えて動くことのできる環境」を求めて仕事探しをしていた。

「会社の仕事にはあまりなじめず、もっと自分の適性やアイディアを活かせる仕事に就きたいと考えていました。地域おこし協力隊の制度を知り、自分の求める仕事がありそうに思えて興味を持ちました。また、大学時代にインターンシップで新潟県柏崎市に行ったこともあり、新潟県内の募集を探していたところ十日町市の地域おこし協力隊が目に留まりました。」

かねてから、自然が豊かな新潟県の土地の魅力と、人の温かさに惹かれていたという細田さん。

「私は『強さと優しさ、面白さを兼ね備えた人柄』、と『向上心・余裕・自信ある精神』を理想の大人像としていたのですが、豪雪地でも自然と共存し、暮らしている方々こそがこれにあたるのではないかと思うようになり、十日町市での活動を希望しました。」

こうして2018年11月、細田さんは地域おこし協力隊として十日町市に着任した。

「まず着任した室野地区で、先輩協力隊の作業を手伝いながら地域の人たちに私の顔を覚えてもらいました。一緒に酒を酌み交わすこともあり、可愛がっていただいたと思います。祭りなどの行事支援や、青年会などの団体の支援にも力を入れました。しかし、ようやく地域になじんできたという頃に、新型コロナウイルス感染症拡大の影響で外部との交流も控えることになり、今後の活動をどのように進めていったらよいか、という課題に直面しました。」

農業支援活動を通じて、地元との交流が深まっていった

農業を追求しながら伝統芸能の存続にも尽力

着任当初は、とにかく農業に関わりたいという思いが強かったという細田さん。1年間の農作業の手伝いを経験し、豪雪地帯ならではの雪解け水を蓄えて棚田を潤し、自然の循環を活かして稲作をしてきた集落の歴史を知り、農業への意識が一層高まっていったという。

「一言でいえば、『自分で農業をやってみたい』という思いが芽生えました。棚田での営農が続けられなくなった方からの勧めもあり、教わりながら自分の手で耕作を始めました。地域での活動については、外部に出ていけなくなり、行事も中止になったことで、集落での支援活動や、雪掘りなどを中心に行いました。1年目から取り組んでいた奴(ぬ)奈川(なかわ)太鼓という伝統芸能の活動も成果を上げることができました。」

室野集落内の伝統芸能のひとつである奴奈川太鼓は、近年存続の危機にあったという。細田さんたちは中越大震災復興基金や同市のパワーアップ事業等の補助金を申請して、奴奈川太鼓の面の張替えや締太鼓の購入を行い、太鼓が存続できるようにと支援を行った。そうしたこともあり、奴奈川太鼓は農業祭などで披露されるようになり好評を博している。

「私が十日町市に移住して感じたのは、様々な魅力的な方と絶妙な距離間で関わることができる面白さです。地域の若者と祭りの準備をし、一緒にステージに上がったこともありました。自分たちが行事の運営を任されることもあり、それぞれの役割を担いながら同じ時間を楽しみ、打ち上げも楽しみます。松代地域の協力隊との共同業務であるかわら版は、歴代の協力隊から引き継がれ10年以上発行し続け、地域に定着しています。」

新型コロナウイルス感染症拡大の影響で活動が制限された部分もあったが、細田さんは地域の若者と連携し、模索しながら、様々な場面で精力的に活動した。

左)地元の小中学校、高校では臨時講師として授業を行った 右)秋祭りで奴奈川太鼓を披露した

雪国だからこその人間味あふれる暮らしを満喫

現地にしっかりと根を下ろし、精力的に活動していた細田さん。それでも十日町市の豪雪は想像以上で驚かされたという。

「豪雪地帯であることは理解していたのですが、それでも想像を絶する雪の量でした。移住してきた初年度は積雪が2m40cmで地域の人にとっては『少なかった』そうですが、2021年には4mもの積雪がありました。朝起きると車が雪に埋まっているので、それを掘り出すところから1日が始まります。天気はいつどうなるかわからないので体力が消耗しないよう、地域の方々には『なから』(「程々に」、「適切に」の意味の方言)の精神が備わっています。」

細田さんは冬の厳しさとともに、雪堀り作業など、地域の人々が助け合いながら生きてきた歴史と文化も感じたという。

「豪雪地という短所も長所も受け入れながら、自然体で人間味あふれる暮らしができることが、自分に合っていると思います。豪雪地の豊かな水と肥沃な土壌で育った作物の美味しさを伝えようと首都圏への出荷も行われていて、私も受け継ぎました。」

夏には近所の人たちから大量の野菜をもらえることがうれしいと細田さんは語る。

「仕事から帰ると、玄関先に大量の野菜が置かれていてビックリすることもあります。私が普段草刈りや、畑仕事などを手伝っていることのお礼の気持ちとしていただけていると思います。ひとり暮らしの高齢者の方などは、声をかけると笑顔で応てくれて、お茶に誘ってくれます。担当の集落はもともと宿場町だったため、外から来た人に温かいのだと言われていますし、それを日々実感しています。こうした地域の伝統を次の代にも引き継いでいきたいと思います。」

「奴奈川っこ農園」と名付けられた学校田を管理した

地元企業の一員となり将来は協力隊OB・OGを受け入れたい

地域おこし協力隊の活動に尽力していた細田さんだったが、任期最終年となる3年目を迎え、終了後の生活をどうするかという現実に直面した。

「棚田での米作りは続けたいと思っていましたが、稲作だけでは生活していくことは困難なこともわかってきました。米の販路について協力隊時代に知り合った方に相談したことをきっかけに、野菜の生産と物流販売を一貫して行っている企業と知り合うことができ、それが転機となりました。」

この企業ではかつて中学校だった十日町市内の廃校の跡地を利用して冷蔵倉庫を建設し、野菜の生産、物流、販売を一貫して行っている。

「協力隊の任期が終了するタイミングで社員にならないかと誘っていただきました。ここで働くことで、今後も集落の田んぼを維持しながら、新たな地域とのつながりもつくっていくことができます。これも協力隊として地域で過ごした様々な人の縁があったからこそだと感じています。」

細田さんが十日町市に移住して変わったことは、常に自分で考え自分の意思で、行動するようになったことだという。

「協力隊には会社員では得がたい充実感がありました。地域の暮らしは、自力でどうにかしなければならないことが多いですが、今ではそれが面白いと思えるようになりました。うまくいけば儲けもの、失敗しても笑い話のネタが増えます。どうしても難しい時や不得意なことは、気軽に相談できる人たちとの頼り、頼られるの関係で解決できます。地域おこし協力隊を終えてもここに定住したいという先輩の話も頷けますし、今後も、豪雪地帯ゆえの棚田の存在意義と魅力、技術を継承していきたいと思います。就職先の社長とは、任期を終了した協力隊を始めとする若い人たちの仕事の選択肢になりたいと話しているので、そちらも目標にして頑張りたいです。」

豪雪地で生きることの魅力を伝えたいという細田さん

Profile

新潟県 十日町市 地域おこし協力隊  隊員OB
細田浩貴さん

青森県出身で、大学卒業後は故郷で就職。会社を辞めて新潟県への移住を視野に仕事探しをしていた際に地域おこし協力隊を知り、十日町市の地域おこし協力隊に着任。農業支援を中心に地域行事や伝統芸能の存続活動に活躍。任期終了後は農業関連の地元企業に就職し、農業をしながら野菜販売業等に従事している。